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大手を振って学べる事の幸せ

  • 2007/06/29(金) 14:07:37

毎度毎度、例えば何か一つの単位を修めたときや、学んで行く中で何かを成し遂げたときに、僕は何て恵まれているんだ、とひしひしと感じます。
中学入学と同時に不登校になり、同時に学校で教えているような勉強とも縁が薄くなりました。期末テストの頃に、いつの間にか届けられている答案用紙を見て、自分が全くそれを理解出来ない事に危機感を覚え、苛立ち、そして参考書を買って来ては自分の知識と勘だけを頼りに問題を解く。でもいつもどこかで壁にぶつかり、気がつけばそこで止まったまま何か他の事に手を出して忘れ去って行く。そしてまた危機感を覚えた頃に同じ事を繰り返す。そうしているうちにかつての同級生は皆卒業を迎え、もはや比べられるようなものですら無くなってしまった。
あの時の学校というのが自分に取って学べる環境では無かったのも苦痛でしたが、自分一人で思うように学ぶ事が出来なかったのもまた僕に苦痛を与えるものでした。学びたい願望はあるのに、ただその方法を知らないがためにもがき苦しむのです。たぶん、この経験を経ていなかったら、学べる事そのものにこれほどの感謝は覚えなかったかもしれません。
大手を振って堂々と学べて、自分が知らなかった事、出来なかった事が出来るようになる。出来る事が増えると、見える世界が広がって行く。視野が広がると知らなかった事がまだまだたくさんあることを知る。知っていたつもりの事ですら全く別の物に変えてしまう事すらある。これはとても価値のある財産だと思う。それは世界でも数少ない、一生自分についてまわる財産



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なぜ学校に行くのか?

  • 2007/06/28(木) 14:04:16

なぜ学校に行くのか。
そう聞かれてすぐ答える事ができるだろうか?
こちらのクラスではそういう話になると、すぐにいろいろな答えが出てくる。
大抵はお金のため、あるいは仕事のため、これも間接的に良い仕事についていい収入を得るため、という答え。すでに職を持っている人についても、新しい知識を身につけてよりより良いポジションに付くため、新しい仕事を探すため、会社で要求される技術を身につけるため、など様々である。先日もちょっと書いたように、学生の多様性がそのまま答えの多様性に表れる。
いろいろな理由が挙がるけれども、共通することは誰一人として学校に行く事そのものを目的に挙げる事はなく、学校に行く行かない以前にまず理由があって、そのために学校に来ているということである。そもそも質問が"学校に行く理由"なのだから、論理的に考えて真っ当な返答だ。
彼らにとって学校に行くというのは、自分が必要とする技術や道具を手に入れるための手段。しかし一口にCollegeへ行くと言ってもタダではない。もちろん、今何かしらの職を持っている人には時間という資源もともすれば非常に大きな問題だ。それでもこうして学びに行くのは、その投資をいつの日か儲けに変える日が来ると信じているから、あるいはもうその算段がついているのかもしれない。
Community College、というより単位制の特性上、単位取得への道が非常にフレキシブルであり、短期的、長期的どちらの場合においても自分の要求に合った計画を比較的立てやすい。これもこの高等教育機関を有効に使う事のできる大きな要因であると思う。時間と金の算段がついたら、後は投資して期待する結果を得られるよう頑張るだけだ。
ここまで来ると日本人としては、じゃぁ日本の学生はどうなんだ、と思わずにはいられない。果たして彼らの何割程度が自らが学校へ行く事にかかる経費や時間を把握し、それを自分への投資だと捉えることができるだろうか。そしてその自分への投資が最終的にどのような形で現れるのか、その予測と共に期待を持っているだろうか。
この答えを考えるには、なぜ学校に行くのか、という質問をよく理解している必要がありそうだ。理由も目的も無い投資など、もはや投資とは呼べないからだ。



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減り行くクラスメート

  • 2007/06/27(水) 14:55:18

夏セメが始まってはや4週間目に突入致しました。そしてもう来週にはひとつめのMathのクラスが終わります。そう、本日が丁度"W"deadlineだったわけです。そりゃぁもう一気に人が減りました!(笑
このWithdrawal制度というやつ、自分の成績があまり良くなく、このままではどうしてもFを貰う事が避けられない場合などにおいて、期日前にクラスを辞める事で全ての成績を放棄する代わりに、そういった都合の悪い評価を貰う事を避けるもの。結果として成績が付かないのでもう一度そのクラスを取り直す事が出来る訳です。お陰でその期日が迫るにつれて日に日に空席が増えて行き、しまいにはその日にどっと辞めて行くわけです。
残念ながら今回のこのクラス、軽く1/3程度の人たちが居なくなりました。一つ前のテストが一番難しいと言われているセクション(今回の平均スコアはC-だったらしい)であったのも響いたものかと思いますが、こうして追い込みに入って行く時期に、クラスの中の密度が下がって行くのは何か寂しいものを感じます。もっとも、アメリカではこのような光景は日常茶飯事のようで、あたかもそれが当然であるかのように事は進んでいきます。もちろん何らかの理由により真っ当に授業を受けられなかった生徒には願ったり叶ったりの制度なのですが。
が、しかしTransferを考えているInternationalにとってはともすれば命取りになりかねない制度。必要な単位を揃えていざTransferって時に「このWどうしたの?」と聞かれて真っ当な理由を答えられなかったらやはり気まずい。おまけに単位が付かないから1セメスターの間に最低限Completeしなければならない12Unitを切ってしまう可能性や、同じく最低限のGPAである2.5を切ることさえある。単位制ならではの面白い制度だとは思うけれども、どうも自分とは縁が無さそうです。
入るのも楽、辞めるのも楽、でも卒業するにはそれなりの対価が必要。これも学問を志す場が人を洗練していく一つの方法なのかもしれません。



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学ぶ環境の多様性

  • 2007/06/24(日) 16:30:31

最近の自分の経験から、勉強する環境の多様性について考えてみた。
アメリカCollegeの環境というのは実に多様性に満ちている。人種、年齢、バックグラウンド、Community Collegeの入学のしやすさというのがこの多様性を支えているのではと思う。特にこのCaliforniaCollegeにおいては、人種の多様性は世界でもトップレベルなのではなかろうか。
Californiaは地理的な要因もあってMexicanがとにかく多い。更に僕の行っているCypress CollegeがあるCypressの近辺はKorean、Filipino、VietnameseなどのAsianも多く、白人が占める割合というのはそんなに高くない。したがって、クラスメートも正に多種多様な人種である。
もちろんクラスの最中は皆英語を使う。しかし一度クラスが終わると途端に分けのわからない言語が飛び交う。中国、韓国、スペイン語、辛うじてタガログ、ベトナム語あたりまでは判別が付くけれども、中東の言葉や、アフリカの言葉ともなるとお手上げである。ただ聞いてる分にはとても面白いのですが。その中にあって日本人に会う確率が限りなく0なのは、僕の英語にとっては幸いだろうか。この多様な環境で勉学を供にするには、当然英語という共通の言語を使いこなす必要がある。その為に英語勉強する。
人種だけではなく、年齢やバックグラウンドも実に多様だ。特に夕方以降の、夜間のクラスになると働きながら通学している人も沢山居るので面白い。やはり学生と社会人では意見の出方が違う。特に話題が仕事場でのプライバシーといったようなものになると、社会人の面目躍如といった感がある。とても意見を出すスピードも、数も追いつかない。当然、学生の僕はそれから学ぶ。今のアメリカがどのような社会問題を抱えているのか、それに対するアメリカの倫理観や、哲学を知る。
多様なのは生徒だけじゃない。同様に教える側も多様だ。一つの授業の中で使う教師側の手法ですら複数に渡る。Mathのクラス一つとっても、文書を用いた教え方、図形を用いた教え方、音とまではいかないけれども、英語ならではのリズムを用いた教え方、実際に手足を動かして経験として教える方法、と様々な手法を用いている。なぜならば、人それぞれに覚えやすい、理解しやすい情報の形というのは違っていて、同じ事を教えるのにもどのような方法を用いるかによって、生徒側の理解度が全く違うからである。
この多様なクラスの変化の全ては、クラスの構成自体が多様であるという前提があってこそありうる。世の中の多様性は日々増す一方。学生という身分は、社会から勉学に集中出来る身分として認められている。この時期にこの多様性の中に身を置けた事、いつの日にかそれにもう一度感謝する日が来ると思う。



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Ethos, Pathos, Logos

  • 2007/06/13(水) 09:00:35

最近意識している3つの言葉です。

Ethosとは特徴、気風。
Pathosとは感情に表れるもの。
Logosとは即ち理性、論理性。

いずれも元々はギリシャ語から来ていて、日本語訳はどうも難しい言葉なのですが、こんなところでしょうか。自分が何か意見を述べる時に重要だとされる3要素です。
最近、話す時も書く時も、常にこの3つの要素を考えています。というのも日本語の文化では英語の文化に対して、Pathosについてはともかく、EthosLogosについては不慣れなところがあるからです。またそれぞれの要素がその文化に依存する部分も無視出来ません。その日本語で日本的な思考をして、それを英語にしただけの意見では、英語のDebateにおいては簡単に論破されてしまう。
つまり、語学力だけではなく、言葉が作り出す思考の形態を英語的なものにしていかないと、英語の文化の中では互角に渡り合って行けないわけです。これは日本語も同じ事ですね。もちろん英語でも簡単な意見や、ちょっとした見解などはこれらの理論なくしても、ある程度なぁなぁで通じるところはあります。ただ、Collegeの授業まで全てなぁなぁで済んでもらっては困る(笑)ので、最近意識し始めました。
ネイティブの人も、これらの要素を全て備えている人というのはあまり見かけません。ただ単に言語が使えるということと、その言語を使って自分の思う事を効果的に表現出来る事の間には、やはり差があるようです。日常で使用している言語がこうして思考や振る舞いにまで影響するのは面白いですね。



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夏セメ始まる

  • 2007/06/08(金) 07:00:58

思わぬ病気のせいでぐたぐたのスケジュールになってしまった夏休みも今は昔。
今週から夏セメが始まって、まさに忙殺という言葉が相応しい状態に(笑
いろいろと書くネタはあるのに忙しくて書けなーい!

夏セメは短期間で単位を取るにはもってこいなのですが、クラスによっては普通のクラスと変わらぬ分量を4倍の速度でこなすため、楽しい事になっております。現在MathとESLの2クラスを平行して取ってますが、4倍濃いMathは宿題の量も当然4倍なわけで、四六時中宿題に終われる始末。今現在も3時間後に提出しなければならない宿題を必死に片付けております。個人的には体調さえ崩さなければ、忙しいのもそんなに悪くはないのですけれど。

そろそろ何かを書かなければと思っていたところ、言い訳のような内容になってしまいましたが、ご容赦のほどを。



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